ギュウ

2021年終わるー

今年は本当にいろいろありすぎた。

忘れられない年になった。

嬉しいこともいっぱいあって、計量できないぐらい悲しいことがあって、まだ垂れ流れてる。

今日が明日になって、西暦が2022年になっても、それは変わらんやろうな。


年末になると思い出すことも色々ある。

我が子の年越しの瞬間をおさめようとカメラを持って0時を待つ親の姿。

お年玉をあげても、確認作業の様にお年玉袋を一周見渡して不要な物の様に親に渡す姿。

笑い話にして本人に話したかったなと思う。


あたしは結構家族が好きだ。

家族の話を周りの人によく話す。本当にみんな個性があって面白い人間ばっかりで、とても良い。

そんなことを思ってしまった年でした。


最後、フジファブリックみたいになりました。

来年は富士吉田に行こうと思います。


良いお年をー

ミニマム学歴

亡くなった人に語りかけるなんて恥ずかしくて絶対できないと思っていたのに、生身の人間より語りかけてしまっていて、ボリュームゼロで喉が枯れそうになっている今日この頃です。


あたしは39歳になった。

本当にどうしようもない人間ですけど、大人になるのってホントは結構楽しい。

歳取るの嫌やなとか日々浅く思ったりするけど、ホントはそんな事どうでも良かったりする。

39年いろんなことがあった!今まさに1番感じている事は、人生の途中経過を総括するなら、あと1年待って40歳でやれや!ということ。だが、無視。


あたしの最終学歴はなんと中学卒業で、高校を1年で辞めている。

頭が悪すぎて行きたい高校に行けないから、それなら行かない。という選択をしたかったが、親に「1年だけでも行ってみ」と言われて、1年きっかり高校に通ってみた。

本当に毎日嫌で嫌で仕方がなかった。

それなりに友達もいたけど、所々、我慢できないことがあった。

アホな高校しか行けなかった自分が本当に悪いんやけど、アホな会話してくる奴とかが多くて嫌だった。

「な〜な〜タバコってどこで吸ってる〜〜?」等、かましてくるクソダサい人達が沢山いて、そういう会話をされる度に頭が痛かった。

入学して1週間もしないうちに1年通ったら辞めようと決めていた。

親にお金出してもらって行ってるのに、あんたが受かったって事は落ちた子もおるって事やのに、、、言われる事も反省しなくてはならない点も解ってるけど、そのまま居続ける事は出来ないなと思った。

そういうしょうもない小さいことの積み重ねで、その場所を楽しめなかった幼い自分を恥じることも沢山ある。

もっと何も考えずに女子高生しとけば良かったな。とか思ったりするし、高校出てないと色々と躓くことだってあるし、中卒ってやっぱり恥ずかしい、薄いのよ。履歴書の学歴欄がすぐ終わるというか、書く必要すらないぐらいの学歴だ。

でも、辞めずにはいられなかった。

辞めた理由を今でもうまく説明できないし、当時、どんなことを理由にして辞めたいと言ったのかも覚えていない。とにかく毎日しんどかった。

行きたくない場所に行かなきゃ行けないのって本当に疲れる。

高校を辞める時に担任の先生が「作文を書くのがうまいからそっちの道に進むのはどうか?」と言ってくれたのが、唯一嬉しい出来事で覚えている。

仲良くしていたクラスの子にも辞めることを伝えずに辞めたので大騒ぎでバイト先に来てくれた子もいて「なんでなん?」と必ず聞かれたけど、自分が1番よくわかってなかったから答えることが出来なかったな。とにかく色々考えなきゃいけなくて疲れる場所だった。

 

そんな10代を過ごして、高校辞めてからは、バイトとライブに行くという事だけをしていて楽しかったなぁ。

まさか、そんな生活がこの年齢まで続くなんて思ってもおらんかったけど、結構楽しい毎日を過ごせている。


大人になって良かったなと思う時は、親のありがたみが実感できた時、甥っ子や姪っ子の成長を見届ける事、気心知れた人達と自分で稼いだお金で食事をしたり、旅行したり。


自分でいろんな選択肢をカゴの中にいれて買い物する感じです。あたしは、まだまだ後先考えず買って、よく返品しちゃうけど返品できる期間過ぎてから気付くこともあって、間違った選択肢抱えながら、また、よくわからんのカゴに入れちゃう。

何回でも選び直したらええだけやから、ええんやけど、できればミニマリストになりたいな。

前夜

引っ越し前夜はいつだって明日引っ越しするだなんて信じられない!と生活感アリアリの家の真ん中で悲しくなっている。

8月に引っ越しをした。今回もそうだった。


あとダンボール何個作ればこの作業が終わるのだろうか…はたまた、このまま終わらないのか?と何度も時計を見る。

はぁ?この時計も何でまだココにあるねん。ホンマ信じられへんわ。


ユカと二人、必死に作業を行っていた。と思っていたのは、あたしだけでユカは高いところの荷物を取ってから出しっぱなしの脚立に腰掛けた。

おいおいそんな所に座ってる場合ちゃうでーと思っていたら「夜中にいきなりさいつ空いてるのってLINE〜」とユカがそれのMV的な感じをそれっぽく歌い出した。

うわ〜腹立つな〜と思って見てないフリしていたが「な〜!」「な〜!な〜!」「るなちゃん〜!な〜て!ほら見て!君とはもう3年ぐらい会ってないのにどうしたの〜」とまた歌い出した。

「な〜!見て!ちょうどあってん!脚立が〜だからさ〜あの頃僕たちはさなんでもできる気がしてた〜」脚立に座って体を揺らしながら香水を歌っているユカを見て、もう明日引っ越しなんて無理な事なんだなと諦めかけた。その時、ユカがボリュームを6個ぐらいあげてサビに突入しやがった。

何故、律儀にその歌の頭から歌ったのか?サビからならまだ許せたかもしれない、それに頭から歌いだした癖にサビでちゃんと気持ちよくもなってやがって本当に許せない。

もう引っ越しなんて出来なくてもいいから、今作っているダンボール並びに、作り終えたダンボールもろとも投げつけてやろうかなと思った。

引っ越しには忍耐が必要だ。


千葉市からさいたま市への引っ越しで、さいたまの家で一緒に住む人に「別にええんやけど千葉市に住んでる間に幕張メッセクリープハイプみたかったな」と言ったら「ルナコ〜、今度から俺達さいたま市民だよ?スーパーアリーナがあるじゃん」と言われて、なんだこいつ最高だなと思った。「チケットとれるかなー」と公演が決まっているかの様に心配している。


今一緒に住んでいる人は獣医さんで、本当に毎日尊敬している。

一度「仕事に行くのが怖い」と言っていた事があった。入院している猫の容態が良くなかった様だ。

あたしは猫を長年飼っていて、動物病院に何度も連れて行っていたけど、獣医さんがそんな事を思ったりしてるなんて想像した事も無かった。

それでも、翌朝になれば当然の様に職場に向かう。あたしは怖くなる様な仕事に就いた事がないな。

なんて気楽に生きているんだろうか。


引越してから3ヶ月ぐらい経つけど、無職でずっと家事している。

毎日、こんな事もできないのか?と自分の両手に聞いてみるけど、手には耳ついてないしどうにもなりませんね。

諦めて脚立引っ張りだして香水に限るな。

んぐまーま

あんな事があって、何をやってる時もしんどいし、何もやってなくてもしんどい。

油断してたら、思いつきもしない所で、周りがひくぐらいの量の涙が放出される。

通学している学生みても泣けるし、通勤してる大人群をみても泣けてくる。

けど、その大人群の中にたまーに混ざってる、いろんな意味でどこに向かってるんかわからんようなヤバい奴を見つけたりしたら、今は救われますね。


録画していた心霊番組を見て思ったりしたけど、今わけわからんオバケ出てきて、ちょっとした顔見知りであったも「誰やねん」やな。

あんたちゃうねん。

瀬下の「チャーンス!」ばりの「チェーンジ!」と大声張りで言える自信ある。間髪入れずにね。


自分の周りで大事な人を亡くした人がいたら、今度からは「その人はどんな人だったのか?」と聞いてみる様にしようかなとか思う。

あたしの場合は、亡くなった人の事を話すのもいけない様な感じがして苦しかったりする。

めちゃくちゃ話したいのにな。確実に号泣しながらやろうけど話したくなる。何をしてても思い出すからかな。

でも中にはそう聞かれたくない人もいて、その場合、いつにもまして嫌われるなぁ。

心の中が覗ければいいのにな。覗かれたくないけど。

Bluetooth

言葉が過ぎてしまうし、いつのいつでも正解を選ぶことが出来ない。あたしはそんな性格の持ち主で、また、ひとつ大きな後悔がうまれてしまった。

 

連絡が出来なかったなぁ。いらん事言いそうや。とか考えてしまって、普通に連絡すればいいかとか考えて元気?って打とうと思ったけど、別に元気じゃなくてもいいもんな。居ればいいもんな。とか思ったりして、本当に自分という人間は何もできないなと思った。

失いたくなさすぎて、もう信じて待っておくことしか出来ないな。と。

でも、本当の事を言うとそれも全然出来てなかった。信じることも出来ずに、心のどこかでずっと怖かった。

辛かっただろうなと部屋を片しに行ったら、思っていたより日々を楽しんでいる様子で、もうわけがわからなくなってしまった。

知らない事も沢山あって、知れる喜びも落ちてたりして、いろんな感情が入り混じる部屋で、後悔が縮んだり膨らんだりして忙しかった。


日々辛い事も本当に沢山ある。もう本当に嫌になって消えたくなる瞬間。何かがあったりなかったり、体が重くなってしまって動けなくなる。

色んなことを色んな人が言うから、こうしなければいけない。こうあるべきだ。と本当に忙しい世の中だ。

本当は生きてるだけで十分やのに、それ以上の事を求められたり、自分にも求めたりして苦しくなってしまう。


先も見えない行列に並び続けるのは、すごく辛いよ。一歩はみ出してみて欲しかったな。本当におらんのは寂しいし、辛すぎる。


毎日一緒に過ごしてたあの日々も、あたしの生活には嫌な事が沢山あっただろうと思うけど、思い出すことができない。

沢山楽しい時間を与えてもらえて嫌な日も良い日にかえてくれてた。

たまにしか会えなくなった時も、それは変わらず、こっちの嫌なことを全部吸い取ってくれてたんちゃうかとも思う。

本当にありがとう。

欲を言うならもっと色んな話がしたかったなぁ。

置き配

「すいませ〜ん。オリンピックなんですけど中止になりま〜す」と、今この瞬間に言われてもインターフォン越しで「あ。そうですか〜そこに置いといてください」と、軽々しく言えるぐらいの勢いで問題あり過ぎる。


怖いな。本当に怖い話だな。


なんで起用したのかな。平和の祭典と言われる世界的行事に。

それはそれはあの人の作る音楽が素晴らしいからでしょう。フェスとかで見かけて「やっぱ凄いな」とか思って聴きいるけど、罪悪感からか、あの人の全身にモザイクをかけて見てるもんな。やっぱりインタビューの文字が頭に浮かぶし、その文字を言葉で話している姿も見てもないのに見えてきちゃって吐き気すらする。


今日は早起きしたせいもあって異常に眠くて22時には寝て、先程目覚め。

Twitterを見てしまい、コレを書いてます。

ネットを見ると本当に残念な気持ちが押し寄せてくる。

のちに東京2020を振り返る時に、あたしはこういう事もセットで思い出してしまうだろう。

でも、多くの人がSNS上でどんな言葉を落としたのかなんてあまり覚えてないんやろうな。それが自分の中で、どんなに大きな正義であっても。

許されない事をした周りの人の情報をも公開したり、ファンの人を悪者扱いして攻撃したりした事。

必要のない正義感をネットに落とし込んだ事を改めることなんてないんだろうな。それはとても気持ちの良いことだろうから、そういう人達はきっと2024年のパリオリンピックの楽曲作ってくださいとオファーされたら迷うことなく作る様な根性してるんやろうな。


パリの組織委員会は、そんなキャスティングミスせえへんか。


ちなみにカヒミカリィはパリに住んでたりしたけどね?

多田健二

圧倒的に普通の事が出来る様になってきた。


明日で3年半働いた職場を辞める。

だいたい、どんな仕事でも1年ぐらい働いたら「もうええかな」と思い、辞めちゃうくせがある。そんなくせしかないあたしに合っている働き方は派遣で、もうずっとその手法で働いている。

契約内容の仕事だけどをすれば良いし、契約更新の時に簡単に辞める事が出来る。最高だ。


でも、もう少しだけ長く働ける人間になりたいな。と思ったので、何があっても東京オリンピックまでは働くぞ!と強く心に決めて今の会社で働き出した。

強く心に決めたのに、自分のことなんてすぐ裏切れてしまうから、やっぱり1年ぐらいしたら辞めたくて辞めたくて仕方がなかった。

オリンピックの方から近寄ってくれへんかな?とか、ありえへんこと思ったりしてたけど、世界的にもっとありえへん事がおこって、東京2020が2021年に開催することになった。

去年の今頃は、ほんまやったらオリンピックやってるはずやし辞めてもいいかなーとか思ってたのに、ズルズル今まで働けた。


今は国際宅配便業者の通関部で働いているのでフライトの時間に追われている。

マスク不足の時に、国内からいろんな国へマスクが輸出されたり、いろんな国からマスクが国内へ輸入されたりしていて、各国内でマスク充分賄えるよ!と教えてあげたい気持ちを堪えて働いたり、コロナ禍になって本当に忙しくなってしまって、残業、早出が当たり前になった時は悲しかったなぁ。

こんなに長時間働きたくってこの会社に入ったわけじゃないのにな。って、わざわざ被害者ぶってみたり、辞めたいけど、まだ頑張るかなーを繰り返していた。


恥ずかしいことやけど、こんなに長く勤められたの生まれて初めて。たった3年も同じ事を続けてこれなかった人間で、あたしなんて女は普段誰のためにもならない時間の使い方をしてるけど、仕事やってる時だけはきっと誰かの何かの役に立てている。

どんな仕事もきっとそうで、ボランティア精神のカケラも何もないのでお金を貰わない限り、誰かの役に立つことも出来ないから、1日8時間ぐらいなら良いかなと思えた職場だった。


今の職場の人には感謝しかない。

明日ちゃんとそれが伝えられるだろうか、良さそうなお菓子を伊勢丹で買ったけど、みんな喜んでくれるだろうか、心配だ。