8歳年上の姉が先週誕生日だった。

幼い頃の8歳年上というのは、本当に大きい歳の差で、物心ついた時には、もう姉は働いていて実家も出ていた。

そんな姉との数少ない一緒に過ごした記憶、その中でも印象的というか、ふとした時に思い出す事がある。


小学校5.6年の頃

「ちょっとルナ手伝って」と言われて姉の部屋に行くと、録画した音楽番組に出演していた桑田佳祐が今から歌い出すぞ!という状態で停止され、テレビに映っていた。

 

「佳ちゃんがめっちゃええ歌作ったんやわ。ちょっと歌詞書き写したいから歌詞読み上げていってくれる?」と言われた。

姉は当時サザンオールスターズが大好きで桑田佳祐の事を佳ちゃんと呼んでいたし、部屋には稲村ジェーンのポスターが貼ってあったりもした。

姉に洗脳されてなのか、あたしも桑田佳祐が好きだ。誰かが桑田佳祐の文句言っていたらイラッときてしまうぐらい好きだ。

こないだもかっこよかったな。特番で桑田佳祐よりかなり若いアーティスト達が“あの頃”の歌を披露している中で、桑田佳祐は新曲を2曲も歌っていた。しかも2曲とも既にタイアップがついていてサビで、この歌やったんか〜とわかるぐらい耳馴染みがある歌で、サビを迎えるまでもなくいい歌やなと思って聴いてるんですから凄いことだ!


そんな桑田佳祐もまだ30代後半あたりのことだと思う。


〔月〕という曲を歌っていた。

姉は手帳を開き「ちょっと待ってや〜!はい!ええで」と言って、あたしに読み上げろと言う割にはガッツリと画面を見ていた。


少し進めては停止ボタンを押し、テロップの桑田佳祐が書いた歌詞を声に出して姉に伝える。

姉は「うんうん、わかる!わかる〜あぁ〜そうゆう事か〜あぁ〜これはええ歌やほんまええ歌や〜ほんで〜?」と、ものすごく何かを理解していた。

読み進めていると〔嗚呼……〕と歌詞テロップが出ていて、なんて読めばいいかわからない時にかぎって姉は全然画面を見ておらず「ほんで?ほんで?」とペンを構えて欲しがってくる。

困ったあたしは「なんか悲鳴みたいなやつや」というと「え?」って顔で画面を見て「あぁな」と言って手帳に〔あゝ〕と書いていた。

何故?〔嗚呼〕が〔あゝ〕になるのか?とてもじゃないけど同じものには見えなかったが、長女である姉が間違えるわけない、指摘する事でもないのだろう。

しばらくしたらまた〔嗚呼……〕と歌詞テロップが出てきた。

で、結局これどう読むねん?と思いながら、あたしは「また!なんか!さっきの!悲鳴!!みたいな!!やつ!!や!!」と意味を教えてくれと想いを込めて言った。

姉は「あぁ。あぁな」と言って手帳にまた〔あゝ〕と書いていた。

おい!桑田佳祐!あとこれ何回あるねん!悲鳴みたいなやつ!何回あるねん!どんなシステムで嗚呼があゝやねん!答えはなんやねん。と当時思っていたけど、姉はずっと答えを言ってくれていたんだなと思うと恥ずかしくて消したくても消えない記憶として残ってる。もうこれは記録だ。


全部書き写した姉は「ありがとうな。この歌な〜佳ちゃんがお母さん亡くして作った歌やねんて、ええ歌やよな」と言って、手帳ごと大事そうにしていた。

小学生のあたしはなんとなくいい歌なんやろうなと思っていたが、歌詞の意味は当時わかっていなかった。

その時にしか〔月〕を聴いていなかったが、全然ええ事なんにもあらへん日やのに月が綺麗に出てたりしたら、この歌を思い出したりもしていた。


こないだ姉の誕生日に、ちゃんと聴いてみたくなってライブラリに追加したんやけど、ほんまめっちゃええ歌。

あゝ本当にうちの姉は間違った事何も言わんなと改めて思いました。


お誕生日おめでとう。