んぐまーま

あんな事があって、何をやってる時もしんどいし、何もやってなくてもしんどい。

油断してたら、思いつきもしない所で、周りがひくぐらいの量の涙が放出される。

通学している学生みても泣けるし、通勤してる大人群をみても泣けてくる。

けど、その大人群の中にたまーに混ざってる、いろんな意味でどこに向かってるんかわからんようなヤバい奴を見つけたりしたら、今は救われますね。


録画していた心霊番組を見て思ったりしたけど、今わけわからんオバケ出てきて、ちょっとした顔見知りであったも「誰やねん」やな。

あんたちゃうねん。

瀬下の「チャーンス!」ばりの「チェーンジ!」と大声張りで言える自信ある。間髪入れずにね。


自分の周りで大事な人を亡くした人がいたら、今度からは「その人はどんな人だったのか?」と聞いてみる様にしようかなとか思う。

あたしの場合は、亡くなった人の事を話すのもいけない様な感じがして苦しかったりする。

めちゃくちゃ話したいのにな。確実に号泣しながらやろうけど話したくなる。何をしてても思い出すからかな。

でも中にはそう聞かれたくない人もいて、その場合、いつにもまして嫌われるなぁ。

心の中が覗ければいいのにな。覗かれたくないけど。

Bluetooth

言葉が過ぎてしまうし、いつのいつでも正解を選ぶことが出来ない。あたしはそんな性格の持ち主で、また、ひとつ大きな後悔がうまれてしまった。

 

連絡が出来なかったなぁ。いらん事言いそうや。とか考えてしまって、普通に連絡すればいいかとか考えて元気?って打とうと思ったけど、別に元気じゃなくてもいいもんな。居ればいいもんな。とか思ったりして、本当に自分という人間は何もできないなと思った。

失いたくなさすぎて、もう信じて待っておくことしか出来ないな。と。

でも、本当の事を言うとそれも全然出来てなかった。信じることも出来ずに、心のどこかでずっと怖かった。

辛かっただろうなと部屋を片しに行ったら、思っていたより日々を楽しんでいる様子で、もうわけがわからなくなってしまった。

知らない事も沢山あって、知れる喜びも落ちてたりして、いろんな感情が入り混じる部屋で、後悔が縮んだり膨らんだりして忙しかった。


日々辛い事も本当に沢山ある。もう本当に嫌になって消えたくなる瞬間。何かがあったりなかったり、体が重くなってしまって動けなくなる。

色んなことを色んな人が言うから、こうしなければいけない。こうあるべきだ。と本当に忙しい世の中だ。

本当は生きてるだけで十分やのに、それ以上の事を求められたり、自分にも求めたりして苦しくなってしまう。


先も見えない行列に並び続けるのは、すごく辛いよ。一歩はみ出してみて欲しかったな。本当におらんのは寂しいし、辛すぎる。


毎日一緒に過ごしてたあの日々も、あたしの生活には嫌な事が沢山あっただろうと思うけど、思い出すことができない。

沢山楽しい時間を与えてもらえて嫌な日も良い日にかえてくれてた。

たまにしか会えなくなった時も、それは変わらず、こっちの嫌なことを全部吸い取ってくれてたんちゃうかとも思う。

本当にありがとう。

欲を言うならもっと色んな話がしたかったなぁ。

置き配

「すいませ〜ん。オリンピックなんですけど中止になりま〜す」と、今この瞬間に言われてもインターフォン越しで「あ。そうですか〜そこに置いといてください」と、軽々しく言えるぐらいの勢いで問題あり過ぎる。


怖いな。本当に怖い話だな。


なんで起用したのかな。平和の祭典と言われる世界的行事に。

それはそれはあの人の作る音楽が素晴らしいからでしょう。フェスとかで見かけて「やっぱ凄いな」とか思って聴きいるけど、罪悪感からか、あの人の全身にモザイクをかけて見てるもんな。やっぱりインタビューの文字が頭に浮かぶし、その文字を言葉で話している姿も見てもないのに見えてきちゃって吐き気すらする。


今日は早起きしたせいもあって異常に眠くて22時には寝て、先程目覚め。

Twitterを見てしまい、コレを書いてます。

ネットを見ると本当に残念な気持ちが押し寄せてくる。

のちに東京2020を振り返る時に、あたしはこういう事もセットで思い出してしまうだろう。

でも、多くの人がSNS上でどんな言葉を落としたのかなんてあまり覚えてないんやろうな。それが自分の中で、どんなに大きな正義であっても。

許されない事をした周りの人の情報をも公開したり、ファンの人を悪者扱いして攻撃したりした事。

必要のない正義感をネットに落とし込んだ事を改めることなんてないんだろうな。それはとても気持ちの良いことだろうから、そういう人達はきっと2024年のパリオリンピックの楽曲作ってくださいとオファーされたら迷うことなく作る様な根性してるんやろうな。


パリの組織委員会は、そんなキャスティングミスせえへんか。


ちなみにカヒミカリィはパリに住んでたりしたけどね?

多田健二

圧倒的に普通の事が出来る様になってきた。


明日で3年半働いた職場を辞める。

だいたい、どんな仕事でも1年ぐらい働いたら「もうええかな」と思い、辞めちゃうくせがある。そんなくせしかないあたしに合っている働き方は派遣で、もうずっとその手法で働いている。

契約内容の仕事だけどをすれば良いし、契約更新の時に簡単に辞める事が出来る。最高だ。


でも、もう少しだけ長く働ける人間になりたいな。と思ったので、何があっても東京オリンピックまでは働くぞ!と強く心に決めて今の会社で働き出した。

強く心に決めたのに、自分のことなんてすぐ裏切れてしまうから、やっぱり1年ぐらいしたら辞めたくて辞めたくて仕方がなかった。

オリンピックの方から近寄ってくれへんかな?とか、ありえへんこと思ったりしてたけど、世界的にもっとありえへん事がおこって、東京2020が2021年に開催することになった。

去年の今頃は、ほんまやったらオリンピックやってるはずやし辞めてもいいかなーとか思ってたのに、ズルズル今まで働けた。


今は国際宅配便業者の通関部で働いているのでフライトの時間に追われている。

マスク不足の時に、国内からいろんな国へマスクが輸出されたり、いろんな国からマスクが国内へ輸入されたりしていて、各国内でマスク充分賄えるよ!と教えてあげたい気持ちを堪えて働いたり、コロナ禍になって本当に忙しくなってしまって、残業、早出が当たり前になった時は悲しかったなぁ。

こんなに長時間働きたくってこの会社に入ったわけじゃないのにな。って、わざわざ被害者ぶってみたり、辞めたいけど、まだ頑張るかなーを繰り返していた。


恥ずかしいことやけど、こんなに長く勤められたの生まれて初めて。たった3年も同じ事を続けてこれなかった人間で、あたしなんて女は普段誰のためにもならない時間の使い方をしてるけど、仕事やってる時だけはきっと誰かの何かの役に立てている。

どんな仕事もきっとそうで、ボランティア精神のカケラも何もないのでお金を貰わない限り、誰かの役に立つことも出来ないから、1日8時間ぐらいなら良いかなと思えた職場だった。


今の職場の人には感謝しかない。

明日ちゃんとそれが伝えられるだろうか、良さそうなお菓子を伊勢丹で買ったけど、みんな喜んでくれるだろうか、心配だ。

ユカで挟めば平和かな

なんでやろうな?とか、怖いなとか思うことが多々ある。


ユカという女が「時間通りにくるバス」という歌詞を「時間通りにくるブス」と間違えて歌っていて、律儀なブスの歌にしていた。

もう酷い悪口だ。

時間通りにきたのにそんな言われ方するだなんて、、、

その酷い間違えを正してあげた。そしたらユカは、その歌を作った人が、まるで天国にでもいるかの様に空を見上げて口の形に手を添え「おーちゃん、バスじゃなくってブスやと思ったよー」と言っていた。怖いな。

 

男兄弟、旦那や息子をおもちの全人間は本当に大変な世の中になったよな。

女側が被害者だと訴えたら、そう訴える女と会った事もない様な人間達が100%それを信用してTwitterとかでハッシュタグ付けて《活動》的な事はじめ出すのに恐怖をおぼえる。

女の人権も大事やけど、男の人権も大事だろう。

男女平等を訴えている人のほとんどが、男より女が上に立てる社会を望んでいる様に思うし、そうならない限り許せれへんのやろうな。

それならそうと本当のことを言えばいいのにな。

男も女もない世の中になればいいのにね。と思う事もあるけど、あたしは女に生まれてホントに良かったな。とずっと思って生きてきた。

いや、違う。そんな事どうでもいいな。とにかく怖いよね。

 

自分と違う意見を述べた人に「早く死んだ方がいい」とか言えたりする人も信じられへん。

みんな自分と同じ意見じゃないと気が済まない様な人が、政治について色々と述べたりしてるけど、結局あんたが望むのは、誰の声も聞かない世の中なんですか?

国民の声に耳を傾けろ!と訴えているくせに、自分自身も耳に入れたい事しか聞きたくないんだから、同じでしょう。


それに未だにわからないのが、有名人が不倫とかする時に、どうして不倫相手の事をそんなにも信用できるのか?がわからない。

いつでも、敵になりうる要素ありありやのに、世に出たら恥ずかしいLINE送れたりするのは何故なんだろうか。

そのスクープを見て、不倫した奴を犯罪者並みに叩きのめす世の中もわからない。本当の悪人と、どうしようもない人間の区別もつかない世の中になったのかな?と思う。

TV等に出ることを批判したりして、不倫した奴の仕事を奪うことに必死になるくせに、その人と婚姻関係にある奥さんの事を可哀想とあわれむ。情緒不安定にも程がある。

この一連の行事やりたいだけなんやろうや な。

人の家庭に首突っ込んでも、本当は本当に何も見えないからな。


あと、もうずっと思ってるけど、なんだかんだの事件事故に巻き込まれて被害者になって亡くなった場合、勝手にネットとかでも顔写真や名前出したりするの辞めてくれや。加害者が未成年やった場合、加害者の実名報道もされへんのに何で人生奪われた方が素性明かされなあかんのか。法律でどうにかしてくれや。

勝手に終わりにされてから知らん奴らに、生きてたらこれからの人生こうだっただろうとか今までこうして生きてきたんやろうとか。憶測な人生語られたないねん。

本当におかしな事だ。

 

こないだ助手席にユカといういつもの構図で運転をしていた時に、ナビの右折の指示が分かり辛くて2回曲がるタイミングを逃したら、助手席のユカが小刻みに震え出して、右手は膝上拳、左手で頭をかき「も〜〜〜〜〜!!るなちゃん!!!今日は失敗ばっかりしてるよ!!!!!!どうなってんねん!!!」と声を荒げてきた。

突然普通に怒られて笑えてきてしまってたけど、あの時、何故ブチギレ返しをしなかったんだろうか?と思い出しては悔やんでいる。

 

おかしな世の中だ。

なんでもなかった事をヒトツ。長めに。

コレ一枚あるだけで全然ちゃうねん。暑すぎやろ。と、何ヶ月か前まで怒りに震えていたのに、今じゃすっかり大切な防寒具と化したマスク。

あれほどなんか嫌やなーと思っていた黒色のマスクも今じゃすっかり白色みたいな扱いになっている。色の価値まで変わったな。

2021年3月です。


2020年は救急車で運ばれたこともあったりして体調が悪く、色々検査はしたけど全てストレスで片付けられてしまって原因不明のままだったこともあり、生まれて初めて健康診断に行った。

健康診断に行ってもどうせ医学的にデブだと言われるだけだろうと思うし、別に綺麗に生きれなくても良いかなとも思って今まで行かなかったけど、ホント去年がしんど過ぎたから全部調べようと。

結果は

大腸癌の所見あり、再検査要。

ふざけるなよ。どこにも医学的にデブだと書いてない。それを上回って返してくんなや。

不安だ。

健康診断を乗り越えただけで世界一健康な気分になってただけに怖い。

近くの病院で検査の予約してから数日。

ふとした時に、あぁーそういえば癌かもしれへんねや。と、何度も思う瞬間があった。


検査を受ける為に前日から食べるもの、食べる時間、薬を飲む時間、全てスケジュールが決まっていた。検査当日は仕事も休みで良かったが、スケジュールを守る為には検査の前日、仕事を早退しないといけなかった。

うちの職場は今異常に忙しいが、上司は「それは大変だ。早く検査したほうが良いんで全然大丈夫ですよ。」と言ってくれた。


検査前日。7時ー

大腸カメラ検査食の朝食分を食べる。とにかく臭くて不味くてビックリした。臭い飯、あたしは囚人か。


11時ー

職場着いて就業前に昼ごはん。とにかく臭い。こんな臭い飯をあたしはお金を出して買ったのかと思うとホントに健康診断なんて行きたくなかったな。と思う。知らないほうが良いこともある。


12時ー

就業中。11時半から仕事で5時間の休憩なしで早退する。忙しいのに本当悪いなー。

そして昼礼が始まった。

上司が強めの口調で

「今日はとても忙しいです。その上、栄さんが病院へ行く為に早退します。普通にやってたんじゃ絶対終わりません!個人個人がきちんと意識して取り組んでください!!」

今世紀最大の帰り辛さになった。

昼礼終わったあと皆、軍隊みたいにピシャッとすぐデスクについたぞ。最悪やな。

これが社会です。健康診断なんて行くもんじゃない。

あたしはいつも以上に頑張った。


16時半ー

退勤。時間ぴったりで「すいませーん。帰りまーす。お疲れ様でした」と言い散らかした。

いつも普通にとおっている通路が凄く狭く感じた。


18時ー

帰宅。夕飯分を食べる。臭くはなかったが美味しくはないご飯。

その横でユカは美味しそうな夕飯を食べていた。でもユカの優しいところは、検査食しか食べてはいけないあたしに隠れてお菓子を食べてくれるところ。袋のカサカサは聞こえるけど食べてるところを見せない努力をしてくれた。


21時ー

下剤を飲む

「この薬を飲んだらもうこの日は寝てください」と看護師さんから説明があった。

まだ寝れる気はしないけど、とりあえず横になった。


深夜1時ー

この時間帯からトイレへ頻繁に行く。

寝れたもんじゃない。そりゃそうだ。強力な下剤を飲んだんだからな。あたしは。

ほんまにクソやな


3時ー

4回目のトイレでケツが終わった。

もう痛すぎて、次トイレに行くことがあったとしても何にも感じないだろう。何故ならもうケツ終わってるから。そして、眠い。

トイレ行ってやっと寝れそう、うとうとってなったらまたお腹痛くなりだす。腸も性格悪い。


4時ー

終わったと思ってたケツがまだ生きてた様で痛い。もうええで。

その後、外が明るくなるまでトイレ通いが続いた。もうええで。


9時半ー

検査当日は絶食ですが、1時間かけて極め付けの下剤と1.8リットルの水を混ぜた物を9時〜10時の1時間でゆっくり飲まなきゃいけないのに、寝不足すぎて9時半にしか起きれなかった。

なんでそんな事したのかわからんけど、10時までに飲み終えなければと思い一気飲み。

そこは1時間かけてゆっくり飲む。の方を優先させたら良かったやんか。下剤で判断能力まで捨てた様です。

空腹に大量の水で気持ち悪くなった。

あーあ。普通に朝ごはん食べてた日が10年ぐらい前のことの様に感じるなー。


11時ー

第二次トイレ戦争。

もうええて。ほんま。もうええて。

もうなんもでえへんのに、水だけやのにケツから出るから。ケツが痛すぎて涙が出てきて泣いた。

「なんでもう水しかでえへんのに、これ尿のほうにでけへんの?切り替えスイッチ作ってや」と泣き喚いていたら、ユカが笑って「あと数時間の我慢やからな」と言ってきた。

何時間やってると思うてんねん!と八つ当たりしようかと思ったけどグッとこらえました。

とにかく何回もトイレへいった。

喉乾いて水飲みたいけどまた飲んだらすぐケツから出るからやめた。


13時ー

ほんまにケツ終わった。

こんなに終わったケツからカメラ入れられるんか最悪やな。でも、湘南美容外科で脱毛してるから良かった。

前までエステ脱毛やったけど医療脱毛のが、断然良い。この日の為に脱毛してたんかもな。AFもなしで今までやってきたのに、まさか、こんな検査でそうなってしまうだなんてな。


14時ー

ユカに送ってもらって病院着。

自動ドアが開かずインターフォンを押すけど応答なく。

別に良いけど、これだけやっても結果知りたい様な知りたくない様な感じやし?このまま帰っても良いけど?と思いながら、車の中のユカを見たら心配そうな顔でこちらを見ていた。連れてきてもらったし、と思ってもう一度インターフォンを押すとさっきとは全く違う感触がしてピンポーンと音が聞こえた。

1度目は押したくない気持ちが強すぎて押し切ったにもかかわらず、微妙な匙加減で押せずにいたらしい。

「はーい」

「14時15分から予約の栄です」


14時半ー

うっすい検査着に着替えて待たされる。その上にガウンも着せてもらったけど寒すぎて無理。

「前の検査の方が長引いているのでもう少しお待ちください。寒いですか?」と。

「寒いです。靴下履いて良いですか?」と聞くとブランケットをくれたけど、靴下履きたかった。寒い。

しばらくして検査室へ

 

冷たいベットに横になって、点滴されて、医者登場「眠くなるお薬入れていきますよ〜」と、いわれ「どこに?」と言ったら「点滴にです」と言われて、ケツからじゃなくって良かったと。安心した瞬間からもう記憶がない。

めっちゃ寝たわ〜と思って目を開けたら、モニターに自分の腸らしきものがうつっていた。綺麗なピンク。まだ検査中だった。

看護師さんが「あー!!!!!起きましたー!」と何年ぶりかに目覚めたのか?と思うぐらいびっくりされた。

目はあけてて起きてるけど体は動かずで、ずっとモニターを見ていた。

こんなにまで中の方見られてるのに感覚がないな。麻酔ってすごい。

「よし!おわった!」とドクターの声。

 

ベットのまま別の部屋に連れて行かれて「体のだるさがとれるまで30分ぐらいここで休んでくださいね」と。

カーテンを挟んだ隣にはあたしの前の時間に検査していて長引いた人が同じように休んでいる。

しばらくすると体を動かせる様になった。

暇だ。

と思っていたら、看護師さんが隣の人に声をかける「◯◯さーん!まだだるいですか?動けません?」

すると男の人の声で「そ、そうですね、だるいです」と。あたしが検査中も休んでいたのに大変だな。もうあたしはいつでも帰れるぞ。

そして寒いから靴下履きたいな。看護師さん、あたしにも声かけて!と思ったがスルーされた。

寒いし、暇だ。もう帰ろう。

ナースコール押したらきてくれたので「寒いんでもう着替えても良いですか?」と言ったら「まだ休んでてください」と。毛布をかぶしてくれた。

この看護師さんはいつも半分だけ願いを叶えてくれる人だ。

あー暇だ。結果はどうだろうか、もうこの場で結果発表〜〜〜!!って教えてくれてもあたしは構わないけどな。結果が早く知りたい。長いCM跨ぎだ。

隣の人が看護師さんを呼んでその部屋から出て行ったタイミングで「あたしももう大丈夫です」と言って体を起こした。


16時ー

やっと靴下はけた。暖かい。靴下最高!

そこから医者の話聞く為に待っていたら、さっきまで隣で寝てた人が診察室から出てきた。

かなり辛そうで、なんだか怖くなった。


診察室呼ばれて、結果発表。

ポリープが1つあって取り除いたとのこと。

「健康診断の時出した便に血が混じっていて大腸癌の所見有りとなっていたはずだが、痔もないし、取り除いたポリープも血が出る悪さをするような物では無さそうだし、うーーーん。ストレスでそうなったのかどうなのか」

と、またストレスかい。こんなけやってまたストレスかーい。

取り除いたポリープが良性なのか悪性なのかは2週間後にわかるとの事で、また病院に行かなかなきゃいけない。

「すごい緊張していた様で起きちゃいましたね」と言われたけど、ずっと寝てるようなもんなんかな?多分、催眠術とかにもかかりづらいのかなとか、全然関係ない事思ったりした。

最後に医者が「もう大丈夫ですよ。お疲れ様でした」と言ってくれて、心からの「ありがとうございました」が出たし、覚えてないけど、膝にデコつくぐらい一礼して、顔から体上げていったかなって思うぐらい頭下げたな。

病院を出て、ユカが待ってる車に乗り込んで結果発表したら「良かった〜!ほら、なんともなかったやろ?」と言ってくれた。


その日の夕飯はポリープ取り除くだけやったよ記念で野菜たっぷり鍋で、〆で雑炊してくれた。

検査後のあたしのことを考えての夕飯で感謝です。


健康診断は行ったほうが良いやろうし、その、結果に従って良くしようと思う心を持っていたあたしは良かったです。あたし本当頑張った。

あたしが頑張ったぞ!と思うことは全て息するレベルで他の人はやってのけるんだろうなと思う。

検査の詳しい結果もまだやのに、あたしはまた健康診断を終えた時の様に、世界一の健康人間になったつもりでいるが、何一つ健康でいようと思って気をつけていることはない。

癌かもしれないと言われてから意識が変わった。とか書けや!人生観変われや!と自分にヤジを飛ばしながらクソみたいに生きていきます。

nameエコー.

22歳の時はあたし何してたっけな。

その1年後に大阪を出たのは覚えてるけど、その前の事が全然思い出せないですね。きっとあたしの事やから大したことなくボーーっと過ごしとったんやろうな。

あの歳に戻れたら色んなことを自分に言ってやりたいけど、言ってもあの頃のあたしなんて今より聞く耳とか持ってないから無駄やろうな。23歳からの記憶はバチバチにあるのにな。

うちの甥っ子が今日で22歳ですよ。

早いな。もう22歳なのか、あたしが過去経験した22歳とは比べ物にならないぐらい色んなこと経験してるんやろうな。

小さい頃はあたしの事を「うなちゃん」と呼んでくれていて、今は名前呼ばれもしてないんじゃないかと悲しく思ってるけど!と運転しながら後部座席の甥っ子に言った時があった。

甥っ子は「そう?呼んでるで、今はるなちゃんやなー。ずっとそうやん」と言った。めちゃくちゃハッキリと、いやむしろエコー状態で久々に呼んでくれた名前が響いていたけど、あたしは言った。欲しがった。

「え?なんて?」と。「いや、るなちゃんって呼んでるやん」と。おかわりをわざと貰ったのだ。

1度目よりも強いエコーでそれは鳴り響いた。もうほとんど右翼です。(不適切)

そして、甥っ子は気付いてなんてなかったやろうけど今バラす。甥っ子を後部座席に乗せている時のルームミラーは結構甥っ子に合わせてた。(不適切、危険、アホ)

19歳になった甥っ子に「ちょっとトイレ行ってくるわ」と言われて「大丈夫か?」と小さい時の感じでついて行こうとしてしまったこともあった(不適切、バカ!懲役!)

昨年のオトダマから1度も会えてない。コロナのせいかな(そうでもないやろうけど、もうコロナのせい!)

早く会いたいなぁ。

 

お誕生日おめでとう。あたしの名前、なんて呼んでくれてるんやっけ?