ピアノ・レッスン

中途半端に色んなことが出来てしまう。


幼い頃からソレで、小学校の1.2年ぐらいかな?うちには長女のキーボードがあり、弾いてる様子をパッと見て、すぐに弾くことが出来た。両親は、あたしに音楽の才能があるんじゃないか?すごいなーと喜んでいて、あたしも嬉しかった。

それからしばらくして、ピアノを習う事になった。入った時の先生は大好きで、習い事をしているということも楽しかった。

それになにより、レッスン用にカバンを買ってもらえたのが嬉しかった。腕にしつこくひっついてくるテーブルクロスみたいな生地で出来たスヌーピーのカバン。嬉しくて何回もチャックを閉めたり開けたりして、余計な物を入れたくなった。


ある日学校から帰ると母・ヒヨコが「るなちゃん今日はピアノ見に行くで〜!お父さんが買ったるって〜」と。

当時、物の価値など全く把握できてなかったが、なんとなくピアノは高価な物だと解っていた。駅前のピアノ屋さんへ母と2人行って、いろんなピアノが並べられていたけど、どれがいいかなんて解らず、言われるがままオススメのピアノを購入。

購入してもらったピアノが届いた日。

黒いのに白く見えるぐらいピッカピカで、まだバイエル2冊目ぐらいなのに一流のピアニストになった気分だった。

仕事から帰ってきた父・ツネオは売り場に行ったでもないので、届いてからはじめてピアノを見た。

父は「ルナ、やったな〜!これでいつでもピアノ弾けるな〜」と嬉しそうに言った。

車買えるぐらいのお金払って、そんなに喜んでるんですから、今想うと本当に感謝しかない。


ピアノが届いてから、しばらくして教室の先生が辞めるって事になって、新しい先生になった。

この先生、保護者が嫌がる行動しかとらない面白い先生で、あたしは好きだったが、他の保護者から苦情があったようで辞めることになった。

その先生との最後のレッスンで先生はタバコを吸いながら「こんなん言うことちゃうんやけど、今日で最後やねん。彼氏にもふられたし」と言って、口にタバコをくわえたままピアノを物凄い勢いで弾き出した。

その弾いていた曲が何かは全く覚えてないけど、チャイコフスキー交響曲第6番やったんちゃうかなと勝手に思ってる。

そして、弾き終わってから「ま〜ええねんけど」と一言。

やっぱり好きやねんけどな〜と思った。


次の先生が、本当に何の面白味もない様な人で、つまらなくて毎週ピアノ教室に行くのがキツかった。

週1回、その先生と防音の小さい部屋で2人っきりで過ごす時間が苦痛でした。

3回目ぐらいのレッスンから、もう俯瞰でその状態が見えてくるぐらい、心ここに在らず。

まるで四つに区切られた防犯カメラの映像を見てるみたいな感じで、小さい部屋に嫌いな先生と2人っきりのあたしが見えてて、幽体離脱


その先生は、絶対音感を持っていることだけを良いとしている様な人で、毎回最初にピアノに背を向けて「この音は?」と音あてクイズを出される。単音はわかるし、複音も2個ぐらいなら、でも3個から全くわからなくなってしまう。

「う〜んわからんな〜」と言うと、先生は「わからない?ど!う!し!て!も?!」と声と同じリズムで鍵盤を強めに叩く。

それを15分ぐらいやられた日があって、ピアノを弾く時間が短くなった。

絶対音感はトレーニング次第!」バーーーンと不協和音を響かせる先生。


ピアノが嫌いになった。


ただ楽しくピアノが弾ければそれで良かったし、絶対音感持ちたいがためにココに来ているわけではないのにな。と思ったけど、家のピアノを見る度に、才能がないあたしが悪いのだなと思っていた。


親はピアノのメンテナンスも怠らず、家に調律師の人が何ヶ月かに1回来てくれていた。

すごくかっこいいんですよ。

見たことない道具いっぱい持ってて、音聴きながら何かを回したりしてて、この人は絶対音感もってるんだろうな良いな〜と思いながら見ていた。


中2になった頃にピアノ教室を辞めたが、ピアノはずっと家にあった。


5月に実家に帰った時、母が「買取業者を探している」と言っていて、あたしが探すと言い、自宅に帰ってからネットでクチコミとか見て良いと思う業者にお願いした。


先月、ピアノが無事買い取られて行った。

買取の前日から妙にソワソワしてしまった。

買取の日、実家に行けなくて、最後のあのピアノの姿が見れなくて、申し訳ない気分になった。

ピアノが来た日はあんなにはしゃいでいたのに、最後の日は、その家にもおらんの。

と、自分勝手に心残りです。

本当に都合の良い人間だなと思う。


父と母の様に、与える喜びがわかる人間になりたいです。あの時ピアノを買ってくれて本当にありがとう。

爪切り美容師

1ヶ月前に髪を切った。

美容室を選ぶ時の第一条件が、前髪のセルフカットを責めてこないようなお店で、今回もそんな感じの美容室に行った。

よし、終わったかなって立とうと思ったら肩ちょっと押される感じで座らされて、ほんま爪切ってるんかってぐらいの量を切り落とす。それが続きに続いて思ったより切られ過ぎ、ショートカットに仕上がった。

でも、まー、ショートにしたいなーと思っとったから良いんやけど、それにしても微調整が過ぎてしんどかったな。

十勝花子になる前に微調整を終えてくれて良かったし、周りにもショートカットは好評やし、なんせ楽よ!

髪の毛洗うんも楽やし、乾かすのも楽やし、最高やなと思ってたけど、髪質がな。かたいから、どんなけ乾かして寝ても翌朝凄いの。洗面所の鏡にうつった髪型見て「なんやこれ?HISASHIやないかい!」楽な事あらへんわ。ツンツンになってんねん。髪の毛も緊張してもうてんねん。慣れへんショートカットに。いつもより余計に髪の毛もかたなって「なんやこれ!HISASHIやないかい!」ってなってまうやん。思うてたんとちゃうな。

1ヶ月経った今、結構伸びて来て、何故か天然パーマネントが凄くて、毎朝、ほぼ坂本龍馬になっている。思うてたんとちゃうな。

ハンチング帽でも買ってかぶろうかなークルリンパッ!

豆まき、誕生日、クリスマス。

毎年5月になった途端、父・ツネオの誕生日が始まるんやけど、happy birthday dad!!つってインスタグラムを更新するような教育は受けてこなかったし、特に電話とかする事もなく「あーツネオ誕生日やな。いくつになったんやろ?」とか思いながら5月1日を過ごして、なんともう5月も後半だ。


うちの父・ツネオは沖永良部という島の出身で、あたしも何度か行ったことがあるんやけど、めちゃくちゃ海と空が綺麗なところで、また行きたいなーと思っている。

そんな美しい島で育ったツネオは今YouTubeで海外のドッキリをずっと見ている。

店先にある観葉植物に扮した人間が店に入ってくる客を驚かすドッキリを本当に永遠にみている。

「ヒトリヒトリそれぞれ反応違うからおもろいんや」とSMAPみたいな事言ってすすめてきたから少し見てみたけど、ヒトリヒトリがほんまに全部一緒のリアクションしててビッっっくりした!がツネオは大笑いだ。

誰がやってるチャンネルかはわかりませんけど、ありがとうございます。という気持ちになるし、何があっても一生更新続けて下さいと思ってる。

ただ、爆音。

耳が遠くなったってことはないとは思うんやけど、その海外のドッキリをSlayerでも聴いてるんかと思うぐらい爆音で見てて、その爆音をかき消す勢いで爆笑してて羨ましいです。

来年はエアーポッズプレゼントするっきゃないかな!


ほんま何歳やろ?71歳かな?たしか卯年やったような気がするんやけどな。

親の年齢って何回聞いてもすぐに忘れてしまう。聞くたびに「あ〜もうそんな年齢か〜」といろんなこと考えるくせして忘れるな。

人間なんて忘却の生き物やからな。

親の年齢はあってないようなものだと思っていて、とにかくあと50回以上は誕生日祝いたいと、連絡もしないくせに思ってます。


happy birthday dad!!

父・ツネオと幼い頃のあたし。

ホエイ

まるで戦場のようだ。という例えを口に出すのも憚られる様な世界になっている。

2022年4月です。


日常をもっと素晴らしいものだと思える様な人間にならなければいけないな。

例えば…

毎朝、一緒に住んでる人の為にプロテインドリンクを作る。

牛乳に粉入れてシェーカーを振り回すだけやねんけど、この粉のパッケージの形状が、どう頑張っても粉が袖口につくタイプでな。どう頑張ってもと言っても、お察しの通り何一つ頑張ってなどいない。けど、損してる気分になる。

あーぁ。これ作ってる会社の奴らは、コレを購入して飲むやつは四六時中タンクトップ着てると思ってるんだろうなと思うとやるせ無いし、作り方がなんぼかの飲み物にスプーン山盛り2杯を混ぜろと書いている。すり切り3杯じゃあかんのか?え?2までしか数かぞえれへんと思ってるん?親切なつもりか?とか、そこまで本当は悪く思ってもないのに悪態ついてしまう。

シェーカー振っている時間、暇やなと思っているからだ。


そんなプロテインも3月上旬になくなって、もう何日も関わっていないのに今朝のことの様な感覚に陥っている今、暇やなと思っている。


暇やなと思える事なんて、本当はめちゃくちゃ幸せな時間なんやろうな。

ギュウ

2021年終わるー

今年は本当にいろいろありすぎた。

忘れられない年になった。

嬉しいこともいっぱいあって、計量できないぐらい悲しいことがあって、まだ垂れ流れてる。

今日が明日になって、西暦が2022年になっても、それは変わらんやろうな。


年末になると思い出すことも色々ある。

我が子の年越しの瞬間をおさめようとカメラを持って0時を待つ親の姿。

お年玉をあげても、確認作業の様にお年玉袋を一周見渡して不要な物の様に親に渡す姿。

笑い話にして本人に話したかったなと思う。


あたしは結構家族が好きだ。

家族の話を周りの人によく話す。本当にみんな個性があって面白い人間ばっかりで、とても良い。

そんなことを思ってしまった年でした。


最後、フジファブリックみたいになりました。

来年は富士吉田に行こうと思います。


良いお年をー

ミニマム学歴

亡くなった人に語りかけるなんて恥ずかしくて絶対できないと思っていたのに、生身の人間より語りかけてしまっていて、ボリュームゼロで喉が枯れそうになっている今日この頃です。


あたしは39歳になった。

本当にどうしようもない人間ですけど、大人になるのってホントは結構楽しい。

歳取るの嫌やなとか日々浅く思ったりするけど、ホントはそんな事どうでも良かったりする。

39年いろんなことがあった!今まさに1番感じている事は、人生の途中経過を総括するなら、あと1年待って40歳でやれや!ということ。だが、無視。


あたしの最終学歴はなんと中学卒業で、高校を1年で辞めている。

頭が悪すぎて行きたい高校に行けないから、それなら行かない。という選択をしたかったが、親に「1年だけでも行ってみ」と言われて、1年きっかり高校に通ってみた。

本当に毎日嫌で嫌で仕方がなかった。

それなりに友達もいたけど、所々、我慢できないことがあった。

アホな高校しか行けなかった自分が本当に悪いんやけど、アホな会話してくる奴とかが多くて嫌だった。

「な〜な〜タバコってどこで吸ってる〜〜?」等、かましてくるクソダサい人達が沢山いて、そういう会話をされる度に頭が痛かった。

入学して1週間もしないうちに1年通ったら辞めようと決めていた。

親にお金出してもらって行ってるのに、あんたが受かったって事は落ちた子もおるって事やのに、、、言われる事も反省しなくてはならない点も解ってるけど、そのまま居続ける事は出来ないなと思った。

そういうしょうもない小さいことの積み重ねで、その場所を楽しめなかった幼い自分を恥じることも沢山ある。

もっと何も考えずに女子高生しとけば良かったな。とか思ったりするし、高校出てないと色々と躓くことだってあるし、中卒ってやっぱり恥ずかしい、薄いのよ。履歴書の学歴欄がすぐ終わるというか、書く必要すらないぐらいの学歴だ。

でも、辞めずにはいられなかった。

辞めた理由を今でもうまく説明できないし、当時、どんなことを理由にして辞めたいと言ったのかも覚えていない。とにかく毎日しんどかった。

行きたくない場所に行かなきゃ行けないのって本当に疲れる。

高校を辞める時に担任の先生が「作文を書くのがうまいからそっちの道に進むのはどうか?」と言ってくれたのが、唯一嬉しい出来事で覚えている。

仲良くしていたクラスの子にも辞めることを伝えずに辞めたので大騒ぎでバイト先に来てくれた子もいて「なんでなん?」と必ず聞かれたけど、自分が1番よくわかってなかったから答えることが出来なかったな。とにかく色々考えなきゃいけなくて疲れる場所だった。

 

そんな10代を過ごして、高校辞めてからは、バイトとライブに行くという事だけをしていて楽しかったなぁ。

まさか、そんな生活がこの年齢まで続くなんて思ってもおらんかったけど、結構楽しい毎日を過ごせている。


大人になって良かったなと思う時は、親のありがたみが実感できた時、甥っ子や姪っ子の成長を見届ける事、気心知れた人達と自分で稼いだお金で食事をしたり、旅行したり。


自分でいろんな選択肢をカゴの中にいれて買い物する感じです。あたしは、まだまだ後先考えず買って、よく返品しちゃうけど返品できる期間過ぎてから気付くこともあって、間違った選択肢抱えながら、また、よくわからんのカゴに入れちゃう。

何回でも選び直したらええだけやから、ええんやけど、できればミニマリストになりたいな。

前夜

引っ越し前夜はいつだって明日引っ越しするだなんて信じられない!と生活感アリアリの家の真ん中で悲しくなっている。

8月に引っ越しをした。今回もそうだった。


あとダンボール何個作ればこの作業が終わるのだろうか…はたまた、このまま終わらないのか?と何度も時計を見る。

はぁ?この時計も何でまだココにあるねん。ホンマ信じられへんわ。


ユカと二人、必死に作業を行っていた。と思っていたのは、あたしだけでユカは高いところの荷物を取ってから出しっぱなしの脚立に腰掛けた。

おいおいそんな所に座ってる場合ちゃうでーと思っていたら「夜中にいきなりさいつ空いてるのってLINE〜」とユカがそれのMV的な感じをそれっぽく歌い出した。

うわ〜腹立つな〜と思って見てないフリしていたが「な〜!」「な〜!な〜!」「るなちゃん〜!な〜て!ほら見て!君とはもう3年ぐらい会ってないのにどうしたの〜」とまた歌い出した。

「な〜!見て!ちょうどあってん!脚立が〜だからさ〜あの頃僕たちはさなんでもできる気がしてた〜」脚立に座って体を揺らしながら香水を歌っているユカを見て、もう明日引っ越しなんて無理な事なんだなと諦めかけた。その時、ユカがボリュームを6個ぐらいあげてサビに突入しやがった。

何故、律儀にその歌の頭から歌ったのか?サビからならまだ許せたかもしれない、それに頭から歌いだした癖にサビでちゃんと気持ちよくもなってやがって本当に許せない。

もう引っ越しなんて出来なくてもいいから、今作っているダンボール並びに、作り終えたダンボールもろとも投げつけてやろうかなと思った。

引っ越しには忍耐が必要だ。


千葉市からさいたま市への引っ越しで、さいたまの家で一緒に住む人に「別にええんやけど千葉市に住んでる間に幕張メッセクリープハイプみたかったな」と言ったら「ルナコ〜、今度から俺達さいたま市民だよ?スーパーアリーナがあるじゃん」と言われて、なんだこいつ最高だなと思った。「チケットとれるかなー」と公演が決まっているかの様に心配している。


今一緒に住んでいる人は獣医さんで、本当に毎日尊敬している。

一度「仕事に行くのが怖い」と言っていた事があった。入院している猫の容態が良くなかった様だ。

あたしは猫を長年飼っていて、動物病院に何度も連れて行っていたけど、獣医さんがそんな事を思ったりしてるなんて想像した事も無かった。

それでも、翌朝になれば当然の様に職場に向かう。あたしは怖くなる様な仕事に就いた事がないな。

なんて気楽に生きているんだろうか。


引越してから3ヶ月ぐらい経つけど、無職でずっと家事している。

毎日、こんな事もできないのか?と自分の両手に聞いてみるけど、手には耳ついてないしどうにもなりませんね。

諦めて脚立引っ張りだして香水に限るな。